2020.7/19

自殺であること、もはや死の事実さえもわたしに確認する術はない。

きっとこの先彼が新たに出演する作品がないことが、わたしにゆっくりその実感をもたらすか、或いはずっとうすぼんやりとした認識のまま過ごしていくんだろうと思う。

 

たぶん今生きている人は、死にたいと思ったことがある人が大多数だと思う。

自殺するとき、それは大体二つのパターンがあると思う。死にたいと(初めて)思ったとき、すぐに行動に移すこと――それが突発的なものであるかそうでないかはさておき――が一つ、死にたいと思っても実行せず、何度も考えて最終的に行動に移すことが一つ。 これ以外にもあるかもしれないけれど、自ら命を絶つ人はこの二つ、そして圧倒的に後者が多いと思う。

 

どうして、なんで。死んでしまっては終わりだ、死を選択してはいけない。そんな声をたくさん見た。それは彼の一件に限ったことではなく、今までも。

 

彼が先日自殺を選択するまで、どれほどの葛藤があったんだろう。

朝目が覚めたとき、夜眠る前。友人と別れた帰り道、仕事へ向かっている最中。どんな時に彼は死にたいと考えていただろう。そのたびにきっと悩んで、彼は生きる選択、「死なない」選択をしてきたはずだ。

友人や家族、ファンのこと。関係者や仕事のこと。たくさんのことを考えて、ずっと死なない選択をしてきたんだろう。

 

今回はその何度もなされた選択の中で、彼は死ぬ選択をした。

首を吊った、と報じられている。本当かどうか分からない。彼が表で笑顔を見せている裏で、死の準備を進めていたんだとしたら。どれも憶測でしかないけれど、想像するだけで胸が痛い。

 

わたしはなんで、どうして、なんて言えなかった。生きていてほしい、彼の姿が見たい。そんなのはそう思う人たちの勝手な感情であって、彼の人生に口を挟んでいい理由にはならないと思う。

 

わたしはいつからか分かり得ない、彼が死にたいと思ったその時から先日までずっと表舞台に立っていた彼がすごいと思う。

彼とは言葉も交わしたことがない。彼の性格や中身なんて見てとれることしか分からないし、それが本当のことなのかも分からない。そしてそれはどんなに近しい人であろうと同じことだ。わたしは自分のことだってよく分からないのに。

 

彼の人生は彼のものだ。

軽はずみに「死なないで」「生きて」なんて言えない。だってずっと「死なずに生きる選択をしてきた」んだから。

そしてここまで言ったことは、誰にだって言えることだと思ってる。

 

先日推しの女優さんと9月から新しくドラマをやることが発表されたばかりだった。めちゃくちゃ嬉しかった。9月まで頑張ろうと思えた。ちょっとチャラそうな役、ジェシーみたいなスマートなタイプかな、広斗みたいな感じなのかな、そんなことを考えていた矢先のことだった。

 

去年末には最推しと映画で共演が決まって、ツーショットが上がって泣くほど喜んだ。舞台挨拶ではそのときの一緒に眼鏡を買いに行った話をしてくれたりするのかな、なんて想像した。

 

延期になった日本製のイベント、やりたいと言っていたライブ。どれももう叶うことはない。

 

今わたしは彼の死を受け入れられているのか、まったく分からない。

 

日々現場に行かずに後悔し続けているわたしが思ったのは、古くから現場に行ってなくてよかった、彼を今以上に好きじゃなくてよかった、ということだ。きっと本当に立ち直れなかったと思う。そんな風に思ってしまうことがひどく悲しい。

 

彼のファンのことを思うと本当に涙が出てくる。胸が張り裂けそうになるというのは、こういうときに使う言葉だと思った。

わたしも彼の舞台を観劇したりしたことがあるし、一般的に言えば「彼のファン」という括りになると思う。長いこと好きな俳優さんだったけど、現場に足を運ぶようになったのはごく最近だ。ただずっと彼を応援してきた人たちにとっては、こんなに辛いことってないと思う。生き甲斐にしていた人たちもたくさんいるだろう。顔も名前も知らない彼のファンの人のことが心配すぎる。

 

彼が亡くなったと聞いてからおよそ1日が経過した。

たくさん彼の名前と写真、動画をSNSで見た。どうして、なんで、悲しい。そんな「哀」の感情の乗った言葉から、数々の冥福を祈る文章。今までこれほどまでに彼の話題が上がったことがあっただろうか。

 

人は死ぬと美化される。

キンキーブーツの話、歌が上手な話、子役と戯れる微笑ましいエピソード。きっと彼に大した興味もなかった人間が、一眼見ただけでしか判断し得ない彼の綺麗な外側の部分だけしか知らない大半の人が、彼の話をした。あなたはその端末で何度彼の名前を入力したことがありますか?と聞いてみたくなる。

 

中にはこんなに美しい人がどうして、といった内容のものも見つけた。自殺してしまった人を悼むのに、美しい人であるかどうかが関係あるんだろうか。Twitterでは彼の名前がトレンド入りしていた。100万件を超えるツイートがなされているらしい。今世界が危機的状況であるにも関わらず、今まで然程応援していたわけでもないのに芸能関連には関心があるんだなと思った。彼の死が陰謀で、政治利用だという声も見つけた。

 

わたしはなんだか色んなことに絶望した。

好きな人が亡くなったことを悲しむことすらできないような世界にいる気分になった。

 

今はただただ彼の冥福と、彼を想うファンの方たちの心の傷が少しでも早く癒えることを祈るばかりだ。

2020/1.24

みなさんはflumpoolのどこが好きですか?

先日ふとわいた疑問。どこっていうのは幅が広すぎるけど、いいなと思ったきっかけだったり、ライブに足を運び続ける理由だったり、そういうのが気になって、何人かの友達にこの質問を投げかけさせてもらったんだけど、みんな本当にそれぞれ違って、聞いてて楽しかったです。答えてくれた子ありがとう。

例えば歌詞が好きだとか、メロディが好きだとか。はたまた当時他にflumpoolより好きなものがなかっただとか、たまたま聴いた曲にめちゃくちゃ衝撃を受けたとか、当たり前なんだけど十人十色の答えだった。

さまざまな角度から愛されてんな、flumpool。って思いました。

わたしは、山村隆太の歌声です。

彼以上のヴォーカリストにはこの先一生出会えないと心の底から思っているくらい好き。

初めて聴いたとき、実はいいとは思ってなかった。むしろ嫌悪感すらあった。でも今思えば、こんな歌を歌う人に出会ったことがなかったから、衝撃があまりにも大きかったんだと思う。知らないものや馴染みのないものから遠ざかろうとする心理みたいなの、ありません?ないか。なんにしても、こんなに自分の中で大きな存在になるとは思ってなかったなぁ。

馴染みがないから耳に残ったんだけど、今となっては真逆なの。わたしの彼の歌声のイメージって、透明感があって、すごく軽くてやわらかい。わたしの耳には一切邪魔にならない、空気みたいな感じなのね。聴いてないときと、いい意味で変わらず、気張ることのない、わたしの一部みたいに馴染むんだこれが。不思議なくらい。

他にも好きな音楽はたくさんあるんだけど、それたちってどこか「聴くぞ」って意気込むというか、流して聴いてるつもりでも、ずっと聴いてられなくて疲れちゃう。

flumpoolには、山村隆太の歌声にはそれがなくて、本当にいつまでも聴いてられる。
もちろん「聴くぞ!」って思って聴いても好き。ここいいなーって思ったりもする。

そうして曲を聴くようになって、flumpoolのことを知るようになって、どんどんflumpoolが好きになって。
後天的な「好き」の積み重ねが、わたしの生活を彩ってくれました。

好きになるうちに、納得できない部分や許せないところが出てくるようになりました。これはどんなファンでも共通してることだと思うけど。

今回ここにめちゃくちゃ向き合って考えた結果を、いくつかに分けて書き留めておこうと思います。

そもそもわたしはflumpoolに何を求めていたのか。
わたしの中で1番大きかったのは、山村隆太の歌声を、ライブで音源通り聴くこと。これさえあれば、きっとなんでも良かったんだと思います。
2008年、ブラッディ・マンデイを見て出会ったロックバンド「flumpool」は、その時点でわたしの中でもうすでに完成していたんだと、今になって思いました。
今も、当時の彼らが、山村隆太の歌声が最大級に好きです。

ほんとの理想は、作りたいときに作りたい音楽やって、ライブやりたいときにライブやってくれることなんだけど。それは当たり前に難しいじゃないですか。タイアップでそれに合わせた楽曲を作ること、自分たちの意思にそぐわない音楽もあると思うし、ライブのタイミングだって、やりたいときにできるわけじゃない。

だから普通でいい、そのまま変わらずにいてくれればいいってずっと思ってた。自分たちの作った音楽をライブで披露してくれれば、それだけでいい。そんな大きすぎない期待をしていたんだけど、今思えばそれは、変わってほしくないっていう強い願いだったんだと思う。

 

何を求めているかも人によって違うし、そもそも何も求めていない人だってきっといる。

自分で言うのもなんなんですけど、わたしまじでflumpoolが狂ったように好きで、本当彼らが人生の中心だったのね。たぶんそんじょそこらのファンとかよりも、ずっとヘビーでクレイジーなやつ。

気持ちには重さがあると思う。そしてそれは、増えることはあっても減ってくことってないと思う。完全に自論っていうか、わたしがの話なんだけど。

初めて行ったflumpoolのライブは「experience」でした。感想は「え、全然音源と違くない?」。
たぶんこう思ったら、普通だったらもうライブに行ったりしないと思うんだけど、なんでかわたしは今の今まで行き続けてるんだけど。
単純に楽しかったっていうのもあった。初めてだったし。

で、そっから「音源通りの歌を聴きたい」って潜在的に思ってたんだと思う。ずっと。
Maydayとのツーマンやフェス、5周年の武道館も、思ったものとは違ってたけどどれも楽しかった。まだ高校生だよわたし、わけーなー!
その2年くらいで、わたしは急速にflumpoolにハマっていったと思う。そのときから納得してないことは多々あったけど、それはまた後ほど書きます。

そして1番楽しかったツアー「MOMENT」。
前々から音源通りじゃなかったけど、個人的にはここからガクッと落ちたと思う。Because…I amまでは割と音源通り歌ってたと個人的には思ってるんだけど。

みんなが心配する中ツアーが終わって、1ヶ月だけ空けて始まった学園祭ツアー。毎週どこかでライブをやって、それが終わってすぐの12月にファンクラブ限定ライブ。これは週4のときもあった。からのRSG、そして大阪松原での成人式。新譜リリースしてリリイベやらラジオの公録やらやりまくって、真夏の大泉緑地で2days。それから秋に屋根裏ツアーやって年末ワンマン。ここまで書いて「まだ」2015年までです。

2016年、2月に新譜3月にアルバム。イベントやって4月からツアー、7月には海外まで行って。11月また新譜出してファンクラブツアーやって年末ワンマン。翌年3月に新譜出してタワレコでライブして武道館でライブしてツアー開始。

2017年12月3日、ヴォーカルの山村隆太が「歌唱時機能性発声障害」であることをファンクラブ内のブログで公表して5日に活動休止を発表。

この間で、わたしは何度彼らのライブやイベントに足を運んで何度彼の声を心配したことか。
SNSで何度も今日も声やばかった、とか、なんなら非難するようなものもたくさんたくさん見た。

活動休止になってもショックではなかったし、驚きもなかった。そういうとなんか言い方悪いな。でもほんと「ですよね」って感じで。だって休みないんだもん、1年でツアー3本やるって正気の沙汰じゃない。

でもそれをありがたく享受していたのも事実で、彼は、自分が強がって言えなかったって言っていたけれど、本当は彼の状態が普通じゃないことも、彼がそういう風に助けを求められない人であることも、みんな誰もが分かっていたはずなのに、本気でどうにかしようとする人が誰もいなかったんだと思う。それはファンであるわたしやあなたも含めて。

活動休止になる前からずっとずっと考えてた、「わたし、これからどうしよう」ってこと。

いつからか納得のいかないことばっかりだった。

音源のベースとドラムの音が極端に小さいこと。一生がビジュアル面での活動休止になって井上をサポートメンバーに加えたこと。ずっとライブでしか聴けなかったHydrengeaを突然音源化したこと。尼川のMCが酷くても誰も何も言わないこと。新規獲得ばかりを考えた企画、都内ばかりで行われるイベントに不満の声が上がって、山村のブログで謝罪をさせて、Zeppという狭い箱でのツアーにはなぜかLINEでの抽選を受け付け、それに対しても彼のブログで謝罪。後手後手の対応。明日への賛歌で今までの曲が全部やらされてきたものだと言われてるような気持ちになったこと、それを好きだと思ったこの気持ちはなんだったんだろうと思ったこと。

大阪の番組に出演して武道館がアイドルでライブやることに対してのコメントが炎上したときに、わたしは今後この人の音楽をどう聴けばいいんだろうと考えるぐらいショックを受けた。真に受けてるとか言われても、むしろわたしはそれでも信じてられる方が考えられなかった。なんにしろ真意と浅はかさとエゴは曲げようがなくないか?と思ったし、仮に切り取られて報道されたとしても(結果部分的に切り取られたわけでもなかったし)、全部汲んでも心のどこかで音楽に差をつけてる気持ちがあったんじゃないかって思わざるをえなかった。もちろん真面目に音楽に取り組んでる制作側としてはいろんな気持ちもあるのかもしれないけど。でもアイドルに、音楽を作る義務はないんだよね。わたしの想ってきた音楽は過信だったのかなって、間違ってたのかなって。flumpoolの音楽を否定されることって、わたしを否定されるのと同じことなんですよ、わたしには。アイドルの音楽に救われた人だって絶対にいるのに、そういうことをあなたたちも唄ってきたんじゃないのって思った。そういう人じゃないって、まあ勝手になんですけど信じてたし、てかそう思ってる人の音楽聴いてても、歪んじゃうの、気持ちが。心底好きな人たちに、ずっと見てきた信じてきたものを、本人にこんな気持ちにさせられたことが悔しいし、つらかった。信じてきた気持ちをどこに置いといたらいいかわからなかった。彼はファンクラブですらなんの釈明も弁解も謝罪もなくて、数少ない人数しか来られないラストコールの抽選のインストアに寄せたライブでさらっと触れておしまいにしたの。そんなところで言ってもみんなには届かないんだよ。わたしはたまたま行った人のレポ見て知れたけど、きっと知らなかった人もいたはずだよ。

セットリストがいつからか偏りだして、聴けない曲が増えたこと、いまだに歌われたことのない曲が存在すること。自分たちがよく歌うから「定番」、自分たちが歌わないだけなのに「マイナー」「レア」「隠れた名曲」扱いすること。屋根裏ツアーのとき、今日はレア曲ばっかりですってMCで言われたときの悲しさったらないよ。アメリカでLOSTが流れてたってリプにもマイナーな曲って言ってたよね。本当に悲しいし、はっきり言ってそういうところがめちゃくちゃ嫌いです。気に入ったらそれ一択で、主にバラードは盛り上がらないとバッサリ切り捨て。カウントダウンで聴きたい曲投票あって、Calling、ギルト、Present、タイムカプセル、しおり、僕の存在、Birds、流れ星って、これだけ聴きたいと思ってた曲歌って。嬉しかった反面、こうしないと歌ってもらえない曲たちなのかなとも思った。結局それからこの曲たちはたいして歌われてないし、あのときみんなが投票してた気持ちも、喜んでた姿も伝わってなかったんじゃないかって思ってしまう。ホールがすごく似合ってて、演出もすっごくいいバンドなのに、やっと歌ってくれた曲は、映えるホールではなくライブハウスやバックステージばっかりなこと。Music surferやLOVE2010(にしておくね)やQuvilleは野外で、brilliant daysはライブハウスで。サマータイムブルースや未来はバックステージで。

SNSを始めたと思ったら、有料会員向けのブログはほったらかしてツイート、ツイート、ツイート。主題歌にもならないドラマの主演になって、ファンクラブサイトの企画に不参加なこと。楽曲の感想やらを気まぐれでRTしたりリプライを返したり。真面目にお金を払ってDear flumpoolにメッセージを送るファンは一体どうすればいいんでしょうか?

ひとつひとつは大したことないかもしれないけれど、積もり積もって肥大化してしまったこと。文句ばかりが出てくる自分も本当に嫌で、こんなことをずっとぐるぐる考えながら数年間ライブに通っていたわたしは、flumpoolのことを考えなくていい時間があるのはすごく気が楽だった。現にINTERROBANGは半年以上ログインしていなかったし(それでアフレコ罰ゲームとクイズ小倉誠司の再放送見逃して本当に死にたくなったんだけど)、なんならもうずっと活動休止でもいいって思うぐらい。数年常に解決できないことを考えて疲れてたんだなと。

でもこれだけ不満があって、それでもライブに行き続けたのは、ただ音源通りの山村隆太の歌声が聴きたいっていう強い希望、という言葉よりもむしろ夢に近い気持ちがあったからで。

常々わたしは、過去に戻ってUnrealのライブハウス公演を見れたら死んでもいいと公言しているんだけど、もうたぶん言葉じゃ伝えきれないぐらいこの気持ちが本当に強かった。

ずっとずっと後悔していた。色んなことを。
行かなくて後悔したライブが山ほどある。やらない後悔よりやる後悔、なんて言葉もある。だけどわたしはRe:imageの新潟公演で、こんなにつまらないライブは初めてだと思った。それは彼の歌声だけじゃなくて、全部、全部全部楽しくなかった。座席は2列目で、それでも楽しくなくて絶望した、flumpoolにも自分にも。「本当にわたしこれで最後かもな」って今までで1番強く思った。

時系列でいうとそれから1ヶ月くらいで活動休止になるんだけど、結局答えは出ないまま、flumpoolを忘れたような、忘れていないような、考えることを拒否して宙ぶらりんにして過ごしてきたんだけれど。

2019年1月13日。

この時1度完全に、糸がぷっつりと切れたんだと今は思う。

たくさんたくさん、物申したいことがあります。知ってると思うけど、以下超口悪いです。
まず発表について、年越しのINTERROBANG RADIO生放送。これ自体は、まぁいいとも言えないけど、一旦良しとして進めます。でも活動休止中のINTERROBANG RADIOをファンが聴く可能性は、そんなに高くないですよねって話で。それから日付が変わった瞬間に山村隆太登場。嬉しかったしアーカイブも残ったから良かったし、サプライズっていうのも分かるけど、これもあんまりわたしは好きではない。そしてここからよ。大問題。まず聴いてるflumpoolファン、どれだけいるか分からないこの状況ね?そんな中コンテンツのみ復活した山村隆太が、「結成日に何かしたい、歌いたい」と。みなさんご存知の通り結成日、1/13です。この発言してるの、1/1です。一言で言おう、ありえない。これが普通に活動しているバンドでも、まぁありえない。12日しかないよ。2週間もない。年明け。それを思いつきで(思いつきではないかもだけどこの唐突さはそれに匹敵すると思います)ぽんと言われるって。メンバー困惑だし、尼川とかめっちゃ引き止めてたよね。正直もう殴ってでも引き止めて欲しかったです。でも山村は殴られても押し通しそうだよね。そういうところも好きなんだよねみんなね。分かるよ。まぁもうこの時点でわたし的にはもうありえないの印が押されたわけなんだけど、まぁ詳細を聞こうじゃないかと。大阪で?まぁ地元だもんね。でも遠いなーわたし。はいそれから?路上ライブ?真冬に外でやんの?そりゃチケットなんて用意できないからな。でもそれは急に言い出したから当然よな。それであとは?え?もう終わりですか?いやそりゃそうだ、だってついさっき言い出したんだもん、何も決まってなくて当然、むしろ決定かどうかも怪しい、そんなレベルで生放送は終了。もう一度言おう、この時点で12日しかないんです。それから彼らはINTERROBANGとTwitterで報告やら告知やらを行いました。ここもブレてんなと思う。INTERROBANG RADIO発信ならINTERROBANG内でおさめて良かったのでは?一応活動休止の身なんだし。しかも宣伝文句は13日、天王寺、午後。天王寺の!どこ!午後って!いつ!12時から0時まで午後ですけどーーー!!!みたいな。そもそも12日しかないのに、3日前までこのスタイル。いやあの新幹線とりたいんですけど、詳細まだでっか?3日前まで13日、天王寺、午後。まぁてんしばに変わってはいたけど。結局最後も13時くらいかなー!とかいうざっくり加減。逆にこの感じで許されるものって何?インディーズのライブ?いやないだろ。友達との遊びの約束ちゃうねんぞ。で、行けない人のためにLINE LIVEで生配信しますと。まぁ行けない人が大多数ですよね、なんせ12日前に言い出した(決まったとは言ってない)ことですからね。なんならそれもリアタイできない人もたくさんいたでしょう。

flumpoolが活動休止になって、悲しんだファン、心配でたまらなかったファン、数え切れないほどいたはずで。全国に、北海道から沖縄までのファンは、彼らが帰ってくる時には、何がなんでもその瞬間に立ち会いたいと、そう思って1年以上頑張ってきた人も、きっといたはずで。生でライブを見ることに、どれだけの意味が、どれだけの価値があるか。ましてやずっと応援してきた人の復帰する姿であればなおさら。あなたがライブやりたいって言って叶うように、こっちが行きたいって言って叶うわけじゃないんだよ。みんながみんなあなたみたいに思い通りになるわけじゃないんだよ。
それを唐突に決められた野外でのライブではい復帰しますと言われたら、もう、言葉にできないような気持ちにもなるじゃないですかっていう。

ほんと、本当に正直、これを純度100%で喜んでいる人がいたら、ドン引きです。


それでも、それでも山村隆太らしく帰ってきてくれさえすれば、わたしは小さな器をこれでもかってぐらい広げて、彼らを許容できたんだと思う。

うまく歌えないことぐらい分かってた。何年見てきたと思ってるんですか。
あんだけ山村隆太の歌声が最優先だと豪語するわたしが、それでも彼らがステージに立つ姿を見ない選択肢がないと思ったライブ。

雨バンドのくせに馬鹿みたいに晴れた空の下、緊張がこっちにまで伝わる彼らのパフォーマンス。

胸が熱くなった。大好きだって思った。
耳に染み付いたメロディー、身体が覚えてるC&R。それだけで楽しかった。本当はもっと早く復帰する予定だったこと、どんどん後ろ倒しになったことを聞いて、胸が苦しくなりました。ただただ彼らを応援したい、わたしにはこの人たちしかいない。本気でそう思っていました。

思ってたんだけど。

たくさん来てくれた人たちに向かって、こんなに来ると思ってなかったって言いました。正直なめてますか?って感じです。
大好きだから来たんだよ。ライブって同じ瞬間ないんだよ?自分たちが1番わかってるんじゃないの?復帰する瞬間に立ち会いたくてみんな来たのに。いくら言葉の綾だとしても、来ると思ってなかったって何?来ると思ってないならやるなって思ったよ。

ライブが終わって、ずうっと待っていた僕たちのフロントマンは、今日は50点だったと、カメラに向かって答えていました。

そこでね、あぁわたしが待ってたのってこうじゃなかったなって思ったんです。
彼はファンのことをいつも考えてくれてるけど、理解は到底していない。認識の違い、解釈の齟齬。ちなみにflumpoolらしい曲も、わたしと本人たちとでは合わないらしい。わたしは伸びの綺麗な春と初夏の間みたいなイメージ。微熱リフレインとか回転木馬とか、プレミアムガールとか、君をつれてもやさしさ強めだけどすごくらしいと思ってて。夏よ止めないでもとてもらしかったけど、完全にDIRTY OLD MANなので嫌です。本人はアコギの、それこそFOUR ROOMSみたいな、季節だと秋っぽいのがらしいと思ってるみたいなので。話が逸れましたね。

 

わたしは100点にこだわる山村隆太が好きだった。完璧でいたい彼を応援していたかった。

明日また1点でも成長できればいいっていうのは、分からなくない。人ってずっと成長だけできるものじゃないし、もちろん後退することもあると思ってる。
それでも俺は100点でいたいんだってかっこよく、時には泥臭く、追いかけているところが好きだった。

そのためだったらわたしは10年でも20年でも待ったし、例えば緊張して全然うまく歌えなかったとしても、俺は100点を出せる自信があるから、満を持してステージに上がったんだって、それだけで良かったんです。わたしはそれなら結果がどうであれ、全力でぶつかってくる彼らを受け止めたかった。

わたし、50点のライブを披露されたんだなって。声の裏返りがないだけマシとか、平均点がこれならありとか、そういう気持ちでステージ立たれたんだなって。わたしは全力で会いに行ってるのに、向こうはライブをお試しの場で使ったんだなって。こんな悲しいことないよ。また絶望しました。これは、彼自身の変化だけではなくて、そういう風に発言したことが、そういう気持ちである証拠だとわたしは思ってて。

そうじゃないと思うとかいう人はちょっと正直夢見すぎだと思う。

1から10ある選択肢で、1だけは選ばないでくれ、それ以外ならなんでもいいからって中で、最悪な1を選んでしまうような感じ。

そう思ってしまってから、ずっと自分はどうしたいのか、どうしたらいいのか考えてきました。
本当に色んなことを考えました。熱くなった頭でも、冷静な時にも、時には友達に相談して第三者の視点で見てもらったりしました。


本来ファンってこんな思い詰めることないものだと思うんですよ。
応援したいものを応援したい時に応援すればいいだけの話だから。ファンは対象を選べるんだから。

なのにわたし、何にこんな悩んでんだろうって考えて。

簡潔に言えば、大好きだったものが変わってしまって悲しいけど、嫌いにはなれなくて、戻ってくれるんじゃないかという希望を捨てきれないんだと。

聴きたい歌声が聴けない。でもflumpoolの好きなとこってそれだけじゃなくて、嫌いになんてなれるわけなくて。
毎回毎回、背中を押すだけじゃない、嫌なことは忘れてとか綺麗事だけじゃない、辛いことも包み込んで明日からまた一緒に頑張っていこうと言ってくれるところも、寸劇やってダメージ喰らったり、しょうもないことでゲラゲラ笑ったり、そんなところもめちゃくちゃ好きなんですよ。嫌なとこに対して量少ないなって思ったやろ自分。わたしもそう思います。


でも彼らを見ると、嫌なところばかりに目がいってしまう。好きで構成されていたflumpoolへの大きくて重たい感情が、絶望や嫌悪に変わる。ここでわたしは感情の質量は変わらないものなんだなと気づいた。


あとね、シンプルにずっと応援してきたっていう、プライドと執念と未練と意地。わー嫌な単語ばっかり!
知らないflumpoolがあるのがとにかく嫌。それはでも、ずっとそうだったかな。

それとこれはわたしの内面的な問題だからあれなんだけど、わたし自分がない人間だから。
でもない中でも、flumpoolが好きってことだけは、まじで自分の意志だったの。
なんもないけどこれだけは自分が胸張って言えるものだったの。

だからflumpoolを好きじゃなくなるっていうのは、唯一あった自分の意志がなくなっちゃうってことで、自分にまじで何にもなくなっちゃうの。何者でもない奴になるのが嫌、というか、怖いんだと思う。

今まではflumpoolが好きな奴で生きてこれたけど、もうないのよわたしにはそれが。そもそもも人間性磨けよと思ったあなた、そんな立派なやつだったらこんなことはなから言ってねーです。


こんなどうしようもない気持ちのまま、ファンクラブライブもツアーも蹴りました。

でも心を決めて、2019年10月3日。追加公演の1日目に入ることにしました。1度切れた糸の端と端を持って、また繋がるかもしれないなんていう淡いをすこしにじませながら。

1曲目のFREE YOUR MINDが始まって、「あぁ、私はやっぱりflumpoolが死ぬほど好きだ」と、心臓が痛くなりました。

ただただ嬉しくて、ただいまと叫ぶ山村隆太のマイクを持つ姿が愛おしかった。

いつかの新潟公演よりも、よっぽど楽しかった。


ライブが終わって、すごく冷静に彼らのことを考えることができました。

まず、今の山村隆太には、HELPのキーがギリギリだと思う。
わたしの行った日はHELPが1番音源に近くて、無理に力を入れることもなくて、歌いづらさも少なく見えた。しおりもキーを下げて正解だったと思う。

正直今の彼に、今までのflumpoolの楽曲を原曲通り歌うのは、かなり難しいと思った。

今まで喉を酷使したことか、単純に加齢か、トレーニングの問題か、原因はわたしには分からないけれど、主に高音が出せていない。

ここまでは音程だけの話なんだけど、わたし的には、声質も変わってきていると思う。

今まではライブで声の不調が続いていたけど、それでも新曲の音源は山村隆太だと思えてた。
でもここ最近、音源も完全に声質変わったなと感じたのは「とうとい」前後。んー?っていう微妙な違和感を感じてきたのはFOUR ROOMSからEGGのあたりだと思ってて。

言葉で説明するのが難しいんだけど、わたしにはこもってるような曇ってるような濁ってるような、そんな風に聴こえる。

そしてこれはわたしの好きな山村隆太の歌声じゃない。

たぶんまだ本調子ではない。だけど今の彼の歌声はこれなんだとわたしは思うし、まだ完全にではないけど、それを冷静に受け止めています。ふっきれたわけじゃないけど、それに近い。全部ではないけど受け止めることができていることに、正直自分が1番びっくりしてる。


わたしは何にも変わらなかったんだと思う。それがいいことなのか悪いことなのかは分からないけど、いまだにflumpoolの過去音源はどれも大好きです。

ただ後天的な好きが圧倒的に、かつ軽率にわたしを攫っていこうとするので、そういう意味でもふわっと戻ったり、ライブに行ったりするかもしれない。どれも未確定。気持ちは変わらなくてもモチベで事を左右するのがオタクなので。

今はちなみにINTERROBANGは退会してます。退会を押す勇気もなく、更新するのも悔しかったので、期限切れといった形ではあったんだけど。


あと心が荒んでいた時期に当り散らした方ほんとにごめんなさい。たくさんいるよね。本当荒れ狂っててごめんなさい。
ファンには色んな人がいる、という当たり前のことにようやく本当の意味で気づけたと思います。最初にも言ったけど、わたしたぶん他のファンより異常にflumpoolが好きなんだね。つらくて共感を求めすぎた。完全に拗らせたオタクです。

あとね、ちょっと別の事柄も含まれてるんだけど、オタクは思い入れの強いものきっかけで何かあるとメンブレする。当たり前か。わたしはブラッディ・マンデイのタイアップ出身なので、今期の知らなくていいコトがかなり刺さりました。タイアップ久しぶりだしむしろ喜んでたんですけど、ずっと自分でも気づいていなくて、ドラマを見ていて最後曲が流れてきたらめちゃくちゃつらすぎて、1人でぼろぼろと泣いてました。自分でも本当にびっくりした、ここ最近で1番びっくりした。タイアップがこんなにわたしに重要なことだったんだなと。


あー締め方迷子になった。とにかくflumpool以上はわたしにはありません。本当はもっともっと成長していく彼らをずっと側で見て応援したいって思ってた。前を向いてる彼らが大好きだった。ファンに振り向いて優しく寄り添うような音楽をくれる彼らが、本当に大好きでした。わたしが受け止めたのは、わたしの望むものはもう叶わないという事実。受け止めてるけどやっぱつらいものはつらいですね。できることならずっとずっと変わらない気持ちで、心の底から情熱を注いで応援していたかったです。病んでるわけではないけど普通に生きる意味はなくなったな。

ここまで読んでくれてありがとうございました!